ノーベル賞特許が放棄されていた
昨年10月の中村修二氏らノーベル物理学賞受賞のあと、科学雑誌、経済雑誌のみならず多くのメディアが速報、特集を組んだ「青色LEDフィーバー」もやっと落ち着いてきました。
ところで中村修二氏の貢献部分に対応する特許としては、特許番号第2628404号が必ずあげられます。同特許は発明の名称が「半導体結晶膜の成長方法」とあり、簡単に言うと「基板の表面に平行ないし傾斜する方向に反応ガスを供給し、基板の表面に垂直な方向に不活性ガスの押圧ガスを供給し、反応ガスを基板表面に吹き付ける方向に方向を変更させて、半導体結晶膜を成長させる」というものです。
この手法が斬新だったのでしょうか。そうでもないようです。
同特許の出願書類のなかに、『さらに、ジャーナル オフ エレクトロニクス マテリアルズ(Jornal of Electronic Materials)14[5](1985)第633~644頁には、基板の表面に、基板に対して平行ないし傾斜する方向と、基板に対して垂直な方向にガスを供給して、GaN、AlN、AlGaN等の、MOCVDエピタキシャル半導体結晶膜を成長させる方法が記載される。この刊行物に記載される方法は、TMG、TMA等の原料ガスを基板に向かって水平に噴射し、TMGと反応するN源であるNH3ガスを基板に垂直に噴射する。』との記載があり、基板に対して水平気流と垂直気流を併用する成長方法は知られている、と発明者も認めているのです。この論文に書かれた手法と同特許の手法との違いは、垂直気流が反応ガスを含んでいないことだけです。
とはいえ、同特許出願は特許庁の審査をパスし特許になりました。
産業界における特許の評価は、どれくらい斬新か、とか学術的に興味深いかということではなく、従来技術と比べてどれくらい効果があるかということだけです。同特許も自社(日亜化学)製造ラインでの歩留まり向上や、他社へのライセンス実績が評価されて多額の「対価」評価につながったのでしょう。
ところが、同特許は、日亜化学自身が2006年1月13日に『本件抹消登録申請書』を特許庁に提出して権利放棄をしているのです。同特許の出願日は1990年10月25日ですので、維持年金さえ納付すればあと4年以上権利を維持できたにもかかわらずです。
権利放棄の理由について日亜化学は「97年後半以降は同技術を使用しておらず、クロスライセンスの相手方も使用していない」等を挙げています。(2006年3月8日 同社ウェブサイト;http://www.nichia.co.jp/jp/about_nichia/2006/2006_030801.html ) ひとことで言えば、一定期間は役に立ったが、後々の技術の基盤になるような基本特許ではなかったということでしょう。
このことが中村氏の受賞に対する意見が分かれる一因になっていると思われます。
以上